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毎日新聞学芸面「天才が捉えた光」

<日曜カルチャー>
英国美術史上最高の画家とたたえられるジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775~1851年)。スコットランド国立美術館群などが所蔵する油彩、水彩、版画約180点を通し、画業を振り返る「ターナー 風景の詩」展が、北九州市立美術館・本館(戸畑区西鞘ケ谷町)で開かれている。「地誌的風景画」「海景―海洋国家に生きて」「イタリア―古代への憧れ」「山岳―あらたな景観美をさがして」「ターナーの版画作品」の5章から成る。色彩が輝き、光のスペクタクルにあふれた作品世界は劇的な画面構成が際立ち、自然に対する畏敬(いけい)の念が感じられる。【渡辺亮一】
会場を巡り、個人的に最も感銘を受けた作は、晩年に手掛けた油彩「遠景に山が見える川の風景」(1840~50年ごろ)である。水平方向ぎみに分割された画面。色数は極めて少なく、上方は白と青系、下方は茶系の色が刻まれている。至近距離で鑑賞すれば、確かに川や山の景色がぼんやりと確認できるが、全体的にもやがかかっているかのような感じ。モチーフの形象は判然としない。
我々が抱く一般的な風景画のイメージから著しく逸脱しているが、不思議と見飽きない。作品から遠く離れて眺めても、圧倒的な光に満たされ、幻惑的に揺らめく空間に目がくぎ付けになる。画家は具体的な対象の形態を再現することよりも、光や大気のダイナミズムをいかにして捉え、キャンバスに定着させるかに重きを置き、腐心していたのだと気付かされる。その意味では後に美術界で一大ムーブメントを巻き起こす印象派の理念を先取りしているし、非具象のたたずまいは、20世紀初頭、カンディンスキーやモンドリアンらによって始まった抽象美術と共通している。老年を迎えたターナーの作品は前衛の境地に達していたのだ。
ターナーは本格的な美術教育を受けていないにもかかわらず、若いころから画力はずば抜けていた。本展第1章「地誌的風景画」の冒頭を飾る水彩「マームズベリー修道院」(1792年展示)は17歳の作。早熟の才はピカソと比肩できる水準と言っていい。27歳でロイヤル・アカデミーの正会員に上り詰めた。
西洋では長い間、歴史画が絵画で最も高尚とする考えが根強く、屋外の自然を主題に据えた風景画の歴史はそう古くはない。本格的な登場は17世紀のオランダ。19世紀に入り、英国で黄金期を迎えた。ターナーはジョン・コンスタブルと並ぶ英国風景画の巨匠と呼ばれるが、相撲に例えるなら、ターナーが東の横綱、コンスタブルは西の横綱といったところか。現代の知名度ではターナーが圧勝。世界で最も有名な現代美術の賞で、ギルバート&ジョージ、ダミアン・ハーストらを輩出した「ターナー賞」にその名が記される。年によっては、授与式で世界的ポップスター、マドンナがプレゼンテーションを務めるなど、賞の注目度の高さは群を抜く。
イタリア半島を計7度も訪れたことが示すように、画家は旅を愛した。初期の頃は英国内の名所旧跡や、自然に恵まれた地方に足を延ばし、膨大なスケッチを残した。その成果を反映した作品群は「地誌的風景画」に区分されるが、たんなる記録画にとどまらず、人物を配し、ドラマ性を意識しているケースが少なくない。水彩「ヘリオット養育院、エディンバラ」(1819年ごろ)が好例。ここでは本来、主役であるはずの慈善施設は奥ゆかしく遠景に引っこんでいる。むしろ目を引くのは、画面手前に現れた人々。左端では4人がかりで懸命に満載の石炭を運んでいる。坂道に差し掛かっており、「ヨイショ!」といった声が聞こえてきそうな勢い。反対の右端では若い女性が積み上げられた日用品を売っている。ポーズを決めるかのように、意味ありげにこちらを向く。動(左側)と静(右側)の対比が利いている。通りの真ん中に座り込み、周りの人に手ぶりを交えながら何やら話しかけている男性は顔が見えず、どこか怪しげな雰囲気。近くに描かれた犬たちの姿がほほえましい。街の活気が伝わる。実際に目にした光景を切り取ったのではなく、別々の場面を集めて再構成したのではないかと思いたくなるほど、人物の配置が計算し尽くされている。
強力な海軍を擁し、世界に君臨した英国は、日本と同じ島国でもある。生涯にわたり、ターナーが最も好んだテーマの一つが「海」だった。のどかな風景ばかりでなく、厄災的な場面もたびたび作品化している。油彩「風下側の海辺にいる漁師たち、時化(しけ)模様」(1802年展示)は、荒れ狂う自然の恐怖を前面に押し出す。一部青天がのぞくものの、暗く、冷たい色でほぼ支配された空と海。波が激しく逆巻く。漁師たちを乗せた小舟はじきに転覆する運命なのだろう。強大な自然の前では人間はなすすべもない。そんな画家のメッセージが読み取れる。
本作の場合、深い自然観察に基づく波の表現がリアリティーをもたらしている。ターナーは蒸気船に乗り、マストに体を縛り付けてもらい、荒波を体験したとの伝説を持つ。伝記映画「ターナー、光に愛を求めて」(2014年製作)にもその場面が出てくる。本展図録に掲載された解説文は<捏造(ねつぞう)された英雄的な神話>と否定しているが、こうした逸話がまことしやかに伝わること自体、ターナーの海景画のすごみと迫真を物語っている。
 天性の画才、詩も書いたロマンチックな感性、足で稼ぐ取材力が相乗的に結びつき、初めて成立し得たターナー芸術。本展で公開されている油彩は8点と少ないが、点数的に中心を占める水彩と版画は例外なく細部に至るまでこだわり抜いて仕上げられ、訴求力に富んでいる。
2月4日まで(月曜休館)。北九州市立美術館・本館(093・882・7777)。

■写真説明 「風下側の海辺にいる漁師たち、時化模様」1802年展示 油彩・キャンバス、サウサンプトン・シティ・アート・ギャラリーOn loan from Southampton City Art Gallery(C)Bridgeman Images / DNPartcom